秋の日曜日の過ごし方

 昨夜の神宮の激戦の疲れが、まだ体に残っている。だが、昨日の勝利で自分のスワローズ観戦成績は8勝8敗のタイになり、今シーズンの観戦はこれで終わった。負け越さずに終えられた安堵が、疲れに拮抗している。

それでも気持ちがざわつく出来事が一つある。自分が全力で声を張り上げて応援しているときに、こちらを白い目で見る一部のスワローズファンがいるのだ。応援は攻撃のときだけ、守備のピンチでは静まり返る――そうした温度差がどうしても気にかかる。守備の局面で選手を後押しするのが本当のファンではないかと自分は思うのに、つい感情が先走り、心の中で嘆く。そんなときは、相手の視線を受け流し、にこりと返すくらいの余裕を持ちたいと自己反省する。まだ修行が足りない。

午前中は大学図書館へ出かけた。窓辺の席まで自転車で20分ほど走ると、秋の空気がちょうど心地よい。図書館では全国紙5紙と東京新聞の書評欄を一つずつめくり、気になる本の題名と簡単なメモをノートに写し取る。新聞の紙面をめくると紙の匂いがほのかに立ち、ページの音が静かに場を満たす。図書館カードを作っておいて本当に良かったと毎回思う。

ただ、いつも使うフリースペースに些細に気になる人がいる。バナナ型のテーブルに向かう自分の前に、ときおり窓を背にしてタブレットで作業する人が座る。こちらは窓に向かっているため、どうしても視線が合ってしまう。先々週も見かけた人で、しばしば咳払いをする。最初は単なる違和感だと思っていたが、ふと考えた――もしかすると仕事内容上、他人に画面を見られたくないのかもしれない。顧客情報を扱うのなら、もっと目立たない場所やカフェを選べばいいのにと勝手に想像する一方で、日曜に誰にも見られないように何かに取り組む人の背後に、生活の重さや陰りを感じてしまう自分がいる。

午後は本屋や古本屋も巡った。古本屋の棚に指を這わせ、紙の厚みや背表紙の擦れを確かめる時間はやはり楽しい。結局、ソビエトの名将ジューコフに関する本を借りてしまう。家に本があふれていくのはいやおうなく心地よい困惑で、帰宅後は風呂でページを繰る小さな悦びを思い描く。

そんな一日だった。身体の疲れは残るが、心には満たされた小さな余白がある。

お疲れ生でした。

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