父と母

 昨日、実家に寄り、母とタクシーで父が入院する病院へ向かった。

 父の病室には、同じように末期のように見える老人ばかりがいた。父は静脈注射で栄養をとっているようだ。私たちの言うことは理解できるが、昨日のことはもう覚えていないらしい。

 母は今さら泣いていた。ならばなぜ、もっと元気な頃に喧嘩ばかりせず、仲良く暮らせなかったのか。母の癇癪が原因で二人の生活は難しくなり、父は思ったよりも早く施設に入らざるを得なかった。あの判断は正しかったのか、今もわからない。

 高齢になると我慢が効かなくなる、らしい。だが、それで長年の夫婦関係を壊すほど喧嘩を重ねるものなのか。自分がその時を迎えないと本当にはわからない。ただ、自分は努力してそうならないよう、体と心を鍛えておかなければと思う。

 三連休の最終日に、変わり果てた父と、感情に揺れる母の姿を見るのは辛かった。自分自身の精神の弱さを感じるのもまた嫌だった。

 ひどいと思いながらも、帰りは母と一緒に戻るのが嫌で、一人で歩いた。しばらく歩くと、一つのお寺に辿り着く。そこは見覚えのある場所で、記憶を辿ると、子供の頃に家族で寒川神社へ初詣に行った帰り、明け方近くに最後に立ち寄ったお寺だった。(たぶん、そうだろう)

 父も50歳くらいの頃には、今でいう「FIRE」をしていたように思う。私にはまだ難しいが、心と体が元気なうちに、やりたいことはやっておかねば、と強く思う。

 ――お疲れ生でした。

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