昨日、父の告別式。
棺の父の顔は、おだやかであった。
父の死は悲しいことだが、冷静に悲しみを見つめる自分がいた。
だが、さすがに火葬場に入っていく父の棺を見ると、最後のお別れと感じ、目に涙がにじんだ。
火葬が終わり、父の骨を拾う。我々家族にはわからないが、火葬した係の人によると、骨がしっかり残っているとのこと。大病せずに亡くなったということなのだろうか。
父の骨は骨壺に収められ、親族で食事となった。父の妹さんも式に参列してもらい、食事も一緒にとった。その方に、父の子供の頃を尋ねた。祖母は病気で早世し、祖母の病気の治療費を稼ぐため、祖父は石切の仕事をして粉塵から肺の病になり、後を追うように亡くなったそうだ。父と父の妹さんは、曽祖父母に育てられた。
父は釣りが好きだったそうだ。父の妹さんはこう語った。
「夜に兄は川にどじょうを釣りに行ったの。私も松明をもってついて行ったわ。寝ているどじょうを釣り針で引っ掛けて釣るの。釣ったどじょうを売って、そのお金で辞書を買ったのよ」と。
父は福島出身だ。太平洋戦争の頃は、自然豊かな福島は食料には困らなかったのだろう。勉強するために釣ったどじょうを売って、辞書を買っていたという話には驚いた。勉強熱心で努力家の父をよく表すエピソードだと思った。
思えば、父は50代には伊豆に別荘をつくり、それからは伊豆で野菜作りや山菜採り、海釣りなど、悠々自適の生活を送っていた。今でいうFireだ。
私も50代だが、まだそこまでに到達していない。父の背中は大きかった。
父が身を持って教えてくれたことを、少しづつでも実践していこう。人生100年時代。父がそう生きたように、まだまだやれることはあるはずだ。
