翌日、今度は息子を連れて病院を訪れた。曇天の空の下、父の病室へ向かう足取りを重かった。
父は眠っていた。「お父さん、○○を連れてきたよ。」といって、頭を触ったり、体をゆすったりしたが、起きる気配はない。
時折、苦しそうに咳をする。
息子も、父の姿を見て驚いているようだった。私は父の体をさすっていると、息子も「手を握りたい」という。父の手は、カテーテルを勝手に外さないようにミトンのような手袋で覆われていた。息子はゆっくりと父の手をさすった。
看護婦さんがきて、今日の父は体調がよくないようだ、と教えてくれる。
面談時間は30分だ。時間間際になり、父の頭を撫でている息子にもう帰ることを告げると、息子は名残惜しそうに父の頭を撫でるのをやめた。
昨日と今日、娘と息子を父にあわせることができて、よかったと思う。命は有限であることをなんとなくわかったのではないか、と。
夕方、兄からメールがきた。父はカテーテル治療で感染症になってしまったようで、他の選択肢をとることになりそうだ、と。それは鼻からチューブを通す治療なのだ。
そうなれば、会話も難しいだろう。
高齢の母も、父の治療方針の判断ができないようだ。治療方針の選択については、姉も私も兄に頼むことにした。
両親の老いに向き合いながら、自分が学ぶべきことは何か。忍耐か、やさしさかーー答えはまだ見えない。
けれど、いつかその意味を静かに理解できる日が来ると信じている。