三連休の最終日

 ついに最終日か。今日は午後から母と一緒に父の見舞いだ。一度実家に寄って、母と一緒にタクシーに乗って病院へ行く予定だ。

 これにより、今日のやることが限られてしまう。面会時間は確か30分だったようだ。今の病院へ転院してから、初めての見舞いだ。父と会える機会はそんなに多くない。やむを得ない。たまには会わないと。母には会いたくはないけれど、たまには会わないと余計足が遠のく。やむを得ない。

 そう、午前中どうしようかと思い、この時間に床屋へ行っておけばいい、と思った。早めに朝食を済ませて、自転車で床屋へ。9時開店前に私より先に5人待ち。まあ、そんなものだ。私の前に、老人が二人。二人とも所在なさげに、ただたまにキョロキョロしている。まあ、老人に限らないか。私はこんなときのために本を持っていく。今日はヘミングウェイの『移動祝祭日』を持って行った。古本屋で買って、全く読めていなかった本だ。ショルダーバッグに入れるには、まあちょうど良いサイズだった。

 床屋開店10分前に並ぶ。そこでスマホのメールをチェックしてから、本を読み出す。並びながら本を読めば、時間も潰せるし、読みたくても読めていなかった本が読める。老人たちはただ所在なさげに立っている。

 まあ、いつもそうなのだろう。暇なのだ。かつてはバリバリ働いていたのだろう。家族を抱えて仕事をしていたのだろう(か)。年を取れば老眼で本も読みたくなくなるのかもしれない。しかし、ああはなりたくない。電車や街中で時間潰しにスマホをやっているのもみっともない。が、何もせずにただ所在なさげに、そして暇そうにしているのもみっともない。

 そう、コロナ禍から自分の生活や考え方は少しずつ変わっていった。その間、仕事で出世することはなかったけれど、私的には大きく変わってきたように思う。コロナ禍で健康を保つために、ランニングの合間に懸垂をするようになったし、投資も本格的に取り組むようになった。FPの勉強会に参加したり、創業の勉強会グループにも参加したりした。野球ライターを目指す勉強会にも参加したりした。それで独立できているわけではないけれど、会社や家族以外の色々な人に少しずつ会って、何かしらの刺激を受けている。今は野球観戦と畑で忙しいが、秋も深まればまた次の活動に入るだろう。

 さて、午後は久しぶりに母と父に会うか。

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